最強メモリアル(5)

ジャッカルすけきよ

2006年01月29日 00:53

かなり久しぶりなんでどこまで行ったか
忘れましたが、野中投手の話なんかを
ちょろっとしてたようです。
水野・江上と野中とは日韓野球で一緒になって
仲良くなったみたいですが
同じく日韓野球に参加した2年生選手と言えば
早実の4番・ 板倉賢司選手がいます。
この年の甲子園で三本のホームランを放ったスラッガー
池田戦は確か3番ファーストで出たんですが
畠山からタイムリーを打ったんではなかったかな?
3位か4位で大洋に入ったはずです

その打撃以上に印象が強かったのは
大差の負け試合となった池田戦、まったく屈託のない顔で
出塁してきた水野・江上と談笑してた姿です。
さすがに都会のチームはさばけとるんやなあ、
と感心させられたものでした。
(同じくらいのスコアで負けた「精神力の広商」に
 そんな2年生がいたら真剣刃渡りの日本刀で
 葬られていたに違いありません)
試合後にはサインボールの交換とか
したみたいですね、「来年の甲子園で会おう」みたいな。

結果的にはこの約束は果たされず
早実は秋季大会では好投手・小野(のち近鉄)を擁した
創価に完敗、ラストサマーはコールド負けで
幕を閉じることになってしまいます。
相手は忘れましたが帝京ではなかったですね
日大かなんかだったかな?
「明るい選手」というイメージが
強かった板倉選手も最後の頃はちょっと
悲壮感があって、かわいそうなような気がしてました。

余談ですが創価高校は夏の甲子園に出場
「『池田を倒せーオウ』とかいえんので『池高倒せー』にする」
なんて応援団伝説が残ってます、実際には池田との
対戦まで行きませんでしたが。

さて関東でその板倉と注目を二分した打者と言えば
立教(埼玉)の長島一茂選手ですね
試合を一度見に行ったことがあるんですが
四番の彼よりも三番打者のほうがキープレーヤーだった
印象があります。福岡第一でいうと
「九州のバース」と山口の関係に近いと言うか
一茂がだめな四番というのではないんですが
勝負どころではむしろ3番の方が頼りになりそうなというような。
エースも好投手(確か立教大学でもエースを張った)だったし
甲子園に出ても不思議はないくらいの
チームではあったんですが、まー埼玉ランキング7-8位
くらいのチームだったですかね

82年の甲子園で活躍した選手には
けっこう2年生が多くて、
興南仲田バッテリー(幸司ー秀司)、佐世保香田、
宇部商秋村、Y校三浦・高井、高知商津野、箕島吉井なんて
あたりが春か夏かの甲子園でハッスルプレーを
見せやがっています。
1年次に甲子園で投げた渡辺久信も含め
結構人材豊富な年ではありましたね

ちなみに古田監督もこの世代に属します
兵庫のまったく甲子園圏外ってこともない
池山のいた市立尼崎よりは名前の通ってる
チームにいたみたいですね

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