阿波の怪腕(1)

ジャッカルすけきよ

2006年02月02日 02:02

79年夏、準優勝以来の甲子園出場
80年鳴門、81年徳島商は案の定の初戦敗退。
やっぱす、徳島で勝てるのは池田だけダス!
というわけで、地元の暑苦しいほどの
期待を受けての甲子園入りでした――

この年の池田は、世間の評価も
かつてないほど高かったですね。
79年の場合、箕島と浪商がハッキリした2強を
構築してて池田はあくまでダークホ-ス、
馬でいえば単勝30倍程度のポジション
だったと思うのですが、
この年は単勝ひとケタ、堂々の「3強」としての
甲子園入りです。。
ちなみに早実と中京を加えての3強なんですが
ポジションとしては早実、池田が東西の横綱で
センバツベスト4の中京は張出的存在
だったように記憶しています。

池田は甲子園入りした時点で
やまびこ打線の評価が
高かったわけではなく、
「阿波の怪腕」畠山準投手の存在が
3強の根拠のほとんどすべてでした。
俺は甲子園に来るまで
「はたけやまじゅん」だと思ってましたが
「はたやまひとし」です。
ただ当時落合が池田の選手を見て
「下半身がほかのチームとは全然違う。優勝するだろう」
と馬体診断のようなことをやりくさったという伝説があります。

当時甲子園の超人気野郎・早実の荒木大輔
「最後の夏」に対する注目は物凄く
(息子に「大輔」とつける親父が続出で
 その一人が松坂パパだったりするのは有名な話
 「準」とつけたコアな親はあまりいません)
畠山はなんとなし
「荒木のライバルキャラ」的な扱いを
受けていた感があります。
早実というのは、今思っても
非常に都会的な、スマートな感じの
チームでしたが、
激戦区の東東京で5季連続出場を果たした
その実力は折り紙つきです:
対して畠山は入学以来この夏が
初めての甲子園
しかも池田なんて得体の知れない
奥地からやってきて
顔はあんなで……
と、割と好対照なキャラクターだったのです。

素材は超一級品だといわれてました:
一年夏の決勝、鳴門戦でリリーフし
秦・島田らプロ選手を輩出した
鳴門の強力打線をほぼ完全に封じたほどに。
その時点で蔦監督は
(こいつで甲子園優勝を狙える
 最低3回は甲子園に出れるはずじゃぬふふ)
などと思ったとか、思わなかったとか。

その畠山がエースで四番ということで
割と「ワンマンチーム」の
印象があった池田なんですが
当時はワンマンチームでも充分
甲子園で優勝候補になりえる時代でした
前年夏の甲子園を制した
報徳学園も、ほぼ「金村のワンマン」
みたいないわれようでしたからね
実際どうだかは知りませんが。

3強以外では「駿河の怪腕」大久保学擁する静岡
「小嶋監督ラストサマー」津久見あたりが
ダークホース
高知商業の評価もそこそこ
地元大阪からは
公立校・春日丘が予選でセンバツ優勝校の
PLを倒し出場
地元の盛り上がりはハッスル大阪大会を
圧倒的に上回るほどで
序盤の話題を割と独占しくさりました。

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