代行サマー(3)

ジャッカルすけきよ

2006年02月10日 12:17

さて、90年夏の県大会決勝は
こんなスコアでした。

池田 200 000 100 3
徳商 311 201 03×11
(池)大西,渡辺,松林,三木一-佐藤,小島
(徳)佐々木,糸林,佐々木,糸林-清本

池田の主将は現在脇町の監督をされてる
住吉さんだったみたいです。
決勝の先発・大西投手は当時1年生で
「蔦監督らしくない起用」とか
池田中学の監督さんが自著で
確か言われてましたが、
まーいずれにせよこの年は軸に
なる投手が不在だったってことでしょうね。
割と小柄なサウスポーです。
ちなみに梶田以降、糸永、桜間、中川と
なぜか左腕が続きまくっていました。

で、まあその大西投手がそのまま新チームの
エースになるんかな、どうなんだろな
くらいに思ってましたが。
秋はもう、知らんまに負けてしまってました。
当時池田はまだ、徳商か鳴門、せいぜい松西くらいにしか
県内では負けないチームだった気がしますが
この秋はいつどこに負けたんだろう?
この3校のどれかだとしたら鳴門ですが、
ちょっと記憶ないです。当然誰が投げてたのかもわかりませんが、
たぶん田原投手はまだ故障でマネージャーとか
されてた時期ではなかったでしょうか。
なれば大西か宮崎あたりが投げてたのではないかと思われます。

一方徳商も、夏の甲子園2勝に貢献した
佐々木投手(たしかドラフト2位あたりで中日入り)
がそのまま残り、かなり期待されてたハズなんですが
この秋は池田よりも早く、
初戦あたりですこっと負けたんじゃなかったかな……。

結局この年の秋は、はやくから本命視された
小松島西が順当に県下を制しました。
準優勝は那賀高校。
部員12人、しかもかなり山中ということで
むしろこちらのほうが大きな注目を集めました。
四国大会では高知に逆転で勝ってベスト4入りを達成。
21世紀枠が当時あったら
間違い無く甲子園に出れてたでしょうが……。
翌春のセンバツ、四国からの出場校は
尽誠、坂出商、小松島西の3校に決まり
那賀は補欠1位にとどまります。。

好素材が集まり、地元では割と期待されてた小松島西でしたが
このセンバツでは川越投手のいた
学法石川に完封負け。
学校として甲子園四季連続初戦敗退の
結果にとどまり「徳商でさえ2つも勝ったのに!」
とヒンシュクを買ってしまいます。
ここがひとつのターニングポイントとなって
以後小松島西は「3強」の位置から
ずるずる後退しはじめた印象がありますね。

その間池田は、地元徳島の春季大会に
臨んでたわけなんですが、
これまた知らん間に負けてました。

ちなみにこの年のセンバツは
谷口投手のいた天理がばりばりの優勝候補、でしたが
上田投手の松商学園に負けました。
その松商の印象が強かったですね
確か準優勝のはずですが
優勝校が思い出せん……。

余談ですが明徳義塾の監督に
マブチ氏が就任されたのも
この年だったらしいですね。90年秋からか
91年春からか詳しくはわかりませんが。

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