2008年09月15日
1960年春
四国大会名勝負選(1)
名著『にっぽんの高校野球 四国編』には、1948年以降の春秋の四国大会全結果が出ておます。それによるとどーやら池田の四国大会初出場は1960年春、愛媛での大会だったみたいですね。当時は秋春とも出場校は一県一校の狭き門で、それまでの徳島代表はほとんど徳商、鳴門に限られていました。
当時の池田のエースは初代「小さな大投手」中内投手。「身長一六六センチと体は小さいが、バネのある体で無理のないフォームからくり出す変化球は冴えわたっていた」(『攻めダルマの教育論』)。
投手力が良いだけに初の四国大会もまずまず、着実なスコアで戦い抜いています。初戦宇和島東に0ー2、3位決定戦、坂出商に1ー3。ま、残念ながら未勝利には終わりましたが。勝負の夏に向け期待の膨らむ内容だったのではなかろうか。
で、実際夏は南四国大会決勝進出! とかなり惜しいとこまで行きました。高知で行われた決勝の相手は徳島商。池田から町民たちが大勢応援に繰り出したらしいんですが、大応援そして大投手の力投も空しく0ー2で惜敗となりました。
この時の徳商は、甲子園でもベスト4まで勝ち進んでいます。また春のセンバツは高松商が優勝してるんですが、その高松商に秋の四国大会決勝では勝っており、全国クラスの強い徳商だったことは間違いありません。ちなみに二年前の夏が板東投手です。この後徳商は全国大会では低迷期に突入、蔦監督に徳商監督の話が持ち上がるのもこの前後でしょう。
名著『にっぽんの高校野球 四国編』には、1948年以降の春秋の四国大会全結果が出ておます。それによるとどーやら池田の四国大会初出場は1960年春、愛媛での大会だったみたいですね。当時は秋春とも出場校は一県一校の狭き門で、それまでの徳島代表はほとんど徳商、鳴門に限られていました。
当時の池田のエースは初代「小さな大投手」中内投手。「身長一六六センチと体は小さいが、バネのある体で無理のないフォームからくり出す変化球は冴えわたっていた」(『攻めダルマの教育論』)。
投手力が良いだけに初の四国大会もまずまず、着実なスコアで戦い抜いています。初戦宇和島東に0ー2、3位決定戦、坂出商に1ー3。ま、残念ながら未勝利には終わりましたが。勝負の夏に向け期待の膨らむ内容だったのではなかろうか。
で、実際夏は南四国大会決勝進出! とかなり惜しいとこまで行きました。高知で行われた決勝の相手は徳島商。池田から町民たちが大勢応援に繰り出したらしいんですが、大応援そして大投手の力投も空しく0ー2で惜敗となりました。
この時の徳商は、甲子園でもベスト4まで勝ち進んでいます。また春のセンバツは高松商が優勝してるんですが、その高松商に秋の四国大会決勝では勝っており、全国クラスの強い徳商だったことは間違いありません。ちなみに二年前の夏が板東投手です。この後徳商は全国大会では低迷期に突入、蔦監督に徳商監督の話が持ち上がるのもこの前後でしょう。
Posted by ジャッカルすけきよ at 15:14│Comments(0)
│名勝負(四国)