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2006年04月04日

岡田・穴吹/県大会全成績(2)

20世紀最後の年、2000年。春。

穴 吹 1 0 2 0 0 0 0 0 2 0    5
鴨 商 0 0 0 0 3 0 1 1 0 1×   6
(延長10回)

穴吹は序盤リード、逆転されたものの
最終回に2点差を追いつき、延長10回の好ゲームを。
なお鴨島商は次の試合、
秋季大会で穴吹と当たった川島に延長13回の激戦の末
6-7で惜敗しています。川島は、続く城南戦にも
7-6で勝ちベスト4進出……
スコアだけから見れば穴吹もベスト4に近い力が、、
なんてほざいてみても良いかもしれませんが
むろん現実はそう甘いものではなく。

夏の現実。
穴 吹 2 0 0 0 0 0 0 1     3
那 賀 0 1 0 0 0 1 5 3×   10
(8回コールド)

春に続き序盤はリードを奪い、6回までは
踏ん張った試合でした。ちなみに
前回の対戦に続き那賀を率いていたのは
この夏も住吉監督だったようです。那賀には
県下屈指の好投手・山田投手がいましたが
続く池田戦にはボロ負けしており
池田ー那賀ー穴吹の力の差は
かなり歴然とあったみたいです。

秋。
穴 吹 0 0 0 0 0 0 0 1    1
城 南 0 2 0 3 0 1 0 2×   8
(8回コールド)

21世紀の幕開け。2001年春。

城 南 5 0 0 1 0 1 0   7
穴 吹 0 0 0 0 0 0 0   0
(7回コールド)

夏。
城 東 2 0 1 2 3 0 0   8
穴 吹 0 0 0 0 1 0 0   1
(7回コールド)

小椋捕手がソロホームランを放ったみたいです
この年のチームは徳島市内の
学校に7点差のぎりぎりで毎回コールドを
成立せしめてしまうという、
かなり悔しい負け方を 続けましたが
チーム史、という風に振り返ると
そういう悔しい時期も財産なんだと思いますよ。
なお蔦監督が亡くならはったのが
この2001年の4月です。

追悼番組に出演された岡田監督↓
http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/2001/0502.htm

で。2001年秋。
徳 北 2 1 0 0 0 1 0 1 0   5
穴 吹 0 0 0 0 0 0 0 0 0   0
<北> 鎌田 - 吉成  <穴> 大内 - 大西

北はこの大会ベスト4まで勝ち上がり
穴吹も上位校とそこそこ勝負が
できる力を蓄えてきたことがうかがえるスコアです
ただ2安打だったみたいですが。

02春。
穴 吹 0 5 0 2 0 0 0 0    7
阿 波 5 1 0 0 2 2 0 4×  14
(8回コールド)

14-7というあまりコールドという気のしない
コールド負けですが、終盤に突き放されるパターンは
当時の穴吹の力量的な限界だったのかもしれません
PLの反対ですね。
そんなわけで夏はノーマークに近かった、というか
いきなり徳商とじゃどうにもならんわなあ、
という感じだったんですが
……大健闘!

穴 吹 0 0 0 0 0 0 0 4 0   4
徳 商 1 0 0 1 1 2 0 0 ×   5
<穴> 大谷、森下、大内 - 丸岡  
<徳> 阿竹、平岡 - 鶴羽

徳島新聞の記事には難聴の藤澤選手が
八回、無死一、二塁の場面で登場、なんて話題が
出ていますね。「とにかく野球が好きな子。期待して送り出した」という
監督のコメントが紹介されてます。
この年は鳴門工がセンバツ準優勝、夏ベスト8の活躍。
「鳴工時代」の到来を告げた年だったりもしますが
穴吹にとっても非常に重要な
一年だったと思います
……といってもいまだに県大会未勝利でしたが。
同年秋、ついに「穴吹旋風」が
吹き荒れることになります。


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Posted by ジャッカルすけきよ at 03:52│Comments(5)穴吹
この記事へのコメント
第2弾行きました。さーすけさん
コメントありがとうございます。
穴吹ー池田はこの春最大のイベントですからね
こういう軽い企画物(?)でうち的にも
盛りあがっていきたいな、と。

で、ちょっとうろなんですが91年の
大村は大村徹選手だったのでは?
研視選手も甲子園には出たはずですが
彼よりちょいと上ですね。
ちなみにお2人とも地元の
徳島野球倶楽部で
プレイされてるみたいです
Posted by いつになく早い at 2006年04月04日 04:17
別の大村選手でしたか。
年齢からすると確かに若いですよね、
91大村選手は。なるほど。

池田もこの時代にはなかなか
上に進めませんでしたね。
仲良く冬の時代を送っていたようです。
ただ穴吹の場合は結果を求められて
いなかったでしょうから、
池田よりやりやすかったのでは?
お仕事ですから仕方ありませんが
ある意味池田が弱体化したのには
岡田監督が同じ西部に異動したからでは。
遠方でしたら西部には響かなかったのに、
なんて恨みがましいことを言ってしまいましたが
心にもないことです。
蔦監督が亡くなったとき、岡田監督は40位
でしょうか。素敵な人は幾つになっても素敵ですね。
明日の一戦本当に楽しみです。
仕事の合間、携帯でチェックします。
Posted by 早っ!ありがとうございます。 at 2006年04月04日 08:27
ハッスルすけきよが、春で世紀最後などをBLOGしなかったよ。
Posted by BlogPetのマハトマ at 2006年04月04日 17:57
世紀最後なんだったらブログして欲しかったな。
Posted by ロッキー羽田 at 2006年04月05日 14:15
マハトマさん、ロッキーさん
春で世紀最後などはとうに
BLOGしたかと思っていたが、
してませんでしたか。以後注意いたします。
今後ともご指導げ鞭撻のほど
お願い申し上げます。

さーすけさん
穴吹への人材流出はやっぱりあるんでしょうね
穴吹には四国一の清流のほか
「ぶどう饅頭」という県民スイーツもあり
通うにはもってこいのステキタウンですし。
ただ、池田の猪森選手とか半田の谷選手とか
「池田エリア」の中学生が
鳴門工業で活躍してたりしますから
それよりは穴吹にとどまってもらったほうが
ラッキーという気もします。

ちなみに自分はいっとき狂ったように
このぶどう饅頭をむさぼり食ってたんですが
体の限界に達したのか
あるとき急に味が変わってしまい
さほどうまいとも思えなくなってしまいました。
今は小男鹿のほうがお気に入りです。
Posted by あれ? at 2006年04月06日 20:24
 
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