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2010年10月19日

義塾(3)

さあ、いよいよ!義塾史上最高投手・山本賢投手絡みの2試合です。 最高は定義難しいから異論もあるかもですが、こと甲子園での安定ぶりに関しては二度のセンバツでベスト4と8まで勝ち残り、2点取られたのが池田戦だけ、無失点勝利が(途中降板含め)四試合という山本投手の実績を超えるものはちょっと見当たりません。惜しむらくは夏の甲子園で投げてない事ですが……あと個人的には一度KKPLとの対決を見たかった投手です。
七位。83春準決勝
明徳 010000000=1
池田 00000002X=2

池田……11ー0帝京、10ー1岐阜第一、8ー0大社。
明徳……10ー0青森北、7ー1上宮、8ー0佐世保工。
ともに圧倒的といえるスコアで勝ち上がった同士の対決で、さすがに中身の濃い一戦となりました。当時二年の山本投手は、見た目うらなりっていうか青瓢箪っていうか、ちょっとそんな感じの頼りなげな風貌で、たんたんと投げる投手でした。池田はそこそこは打ってたんですが、元々明徳に苦手意識もあり、あのまま抑えられて負けちゃってても不思議のない試合だった気がします。勝てたのはやはり、前年夏の経験と自信が大きかったのでは?
ちなみに前年秋の四国大会では、明徳が準決勝で尽誠に敗れ、両者の対戦は実現してません。この四国大会開幕直前(確か初戦の前日とかかなりギリギリ)に、松田監督が急逝されるという不幸な出来事がありました……。秋の練習試合は1勝1敗で、主力戦は水野がボコられ明徳圧勝、とかだった気がします。センバツも蔦松田対決なら一層面白くなったことは間違いないんですが、池田にとってはますます苦しい試合になってたかな?

八位。84春準々決勝
明徳高 000000000=0
大船渡 00010000X=1

確かこの年夏から義塾になったような……で、夏は初めてとなる甲子園出場を果たすんですが、確かこの時山本賢投手の登板はなかったハズです。故障で二年の山本誠投手にマウンドを譲り。誠投手も良いピッチャーでしたが、最上級生となった85年は四国大会優勝しながら、学校のあまりにバカバカしい不祥事のせいでセンバツ出場辞退……。準優勝の伊野商が優勝したものだから「幻の優勝校」なんて言われたりもしましたっけ。確か四番が町田兄だったような……が、話を84春に戻します。
四国大会を制し、東の取手二とともに打倒PLの最有力候補と見られて乗り込んだこの84年センバツですが……フタを開けてみると実に、打てなかった! 初戦が延長で1ー0(横田――確かロッテ行った横田の弟――のホームラン)、二回戦は八回裏にやっと挙げた2点で2ー0。四国大会は7ー5松山商、5ー4丸亀商だったか、結構点を取られも取りもしての優勝だったのですが(池田は準決勝で丸亀商に12ー13だかで負けた)。
猛烈に援護のない中、やっぱりたんたんと投げ抜く山本投手の姿は胸を打ちました。で、大船渡にこの大会初めて、1点だけ取られたらそのまま敗退……ま、大船渡は強いチームだったし、金野投手も素晴らしかったから、負けた自体は仕方ないことでもあったんですが、他の試合も要するに相手ピッチャーが良かったってだけなのかもしれませんが、大会を通してちょっと山本投手が気の毒な感じではありました。
ついでながら夏は義塾、取手ともエースの故障があって評価をやや下げ、箕島、京都西、徳商あたりの評価がべら棒に高くなってたような記憶があります。もっとも、単に関西でスポーツ紙を見たからそうだったのかもしれず、実際には三校とも初戦で負けちゃいましたけど。箕島はどう考えてもかなり強かったハズで、かなりもったいない負け方でした……。自分の覚えてる限り、桜間のときの池田とこの年の箕島が「初戦で消えてモッタイナイ校」ビッグ2ですかね。京都西はなんかでかいエースのいた新潟南に負け、新潟南は三回戦で今度は義塾にも勝ってます。
この時期の話をすると尽きません。


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Posted by ジャッカルすけきよ at 09:04│Comments(0)義塾
 
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