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2005年09月13日

池田メモリーズ(1)

自分の池田ファン史などをほどほどに語ってみることにしやす

俺が池田を応援し始めたのは
1979年夏から。浪商に勝って決勝進出を
決めたのが決定的でしたね
(といっても試合自体はさほど覚えてない
「勝った、マジかよ」という子どもなりの衝撃感は覚えてますが)
その春、東洋大姫路との「雨中の熱戦」は
家族が当たり前のように話してるのは
覚えてるんですが、俺は見てなかったっぽく
直接の記憶はないです
寝てたのでしょうか?

かつて小川ハッスル直也が
「プロと違ってアマチュアは負けたらそれで終わりだから
勝利至上主義にならざるを得ない」みたいなことを
言ってましたが、実際俺が池田を応援しはじめた
きっかけも「勝ったから。」という
小川流アマチュアイズム溢れる根拠でした

実家は池田でなく、徳島商業の
ほんっとにすごい近所にあります。
あるいて2分くらい?
家の屋根からは徳商の校舎が見え
ずっと小さい頃はグランドのわきでよく
ツクツクボウシを取ってたりしてました

そんな地元ながら
当時の徳商というのは甲子園では
今よりもまだはるかにへなちょこで、
確か20数年初戦で勝ったことがないという
腐敗記録を更新し続けくさってました。
鳴門が出ても勝てず、鳴門商業が出てもだめ
甲子園で勝てる徳島のチームと言うのは
当時ホントに、池田しかなかったのです
野球は非常に盛んだったのに
なんでそこまで弱かったのかは謎です
しかし負け方はほとんど競り合った末
終盤に決勝点を奪われる、というものでしたから
どこも揃って「勝負根性に難」という感じだったのかもしれません
まー徳商のふがいなさが
池田のファンになるきっかけだったと恩えば
ある意味徳商に感謝すべきなのかもしれません
なんては露ほどにも思うわきゃありませんが。


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Posted by ジャッカルすけきよ at 03:04│Comments(0)池田と私
 
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